Nature in Dreams Gunma Museum of Art,Tatabayashi
夢の中の自然/昭和初期のシュルレアリスムから現代の絵画へ
群馬県館林美術館
2006年9月16日− 11月26日
近藤正勝 /色とかたちの「転置」
「風景」に正面から取り組むことは、現代日本において困難なことであるかもしれない。山や湖を主観的に激しくデフォルメすること無しに絵画上に表すことは、昭和の日本美術においてきわめて稀である。これは、昭和の作家、評論家たちの多くが、芸術的独自性を主観的表現主義や叙情性に求めて来たことに起因するように思われる。現代の作家たちは、内的世界の放出というかたちで、ようやく「絵画の復権」に成功したように見えるが、依然として、克明かつ再現性の高い風景描写が絵画として成功することは少ない。
近藤正勝はこうした「昭和の呪縛」から本質的に自由であり続ける。山のクローズアップを描く「Mountain」のシリーズは雑誌の図版を縦方向に引き延ばし、それをプロジェクテーでカンヴァスに投影し、輪郭をなぞって描かれたものである。一見難の変哲も無い、写実的な山の絵のようだが、何か違和感を感じる。観る者を拒絶するような、あまりに超然とした山の姿は、微妙に引き延ばされたプロポーションと、予断を排するような厳密なトリミングによるものであろう。
2001年頃から、近藤の制作は大きな転換をみせた。山のクロースアップは森林や沼地に取って代わり、その風景の上で劇的な「色彩の転置」が行われたのである。また2004年からはアクリルから油彩へと技法を変え、「色彩の転置」も大胆になる。さらに新作ではモティーフのコラージュも試み、現実から隔離された烈しい絵画世界を現出させることに成功している。作家は人間の記憶の深層にある自然のイメージと、我々が日常的に体験しているヴァーチャルなイメージとの関連に強い興味を持っている。コンピューターやテレビの画面、雑誌のグラビアなど、ヴァーチャルなものに一度置き換えられた自然のイメージはそれを見る人間の記憶に刻まれ、さらに現実から離れた不条理な自然のすがたを生み出すもととなっている、と考えるのである。こうした現代の視覚体験について考え、それが孕む問題に絵画というフィールドで真正面から取り組むところに、作家の真摯で意欲的な姿勢が窺える。
現代と切り結び、「色彩の転置」によって自然のイメージを新たに浮かび上がらせる近藤の試みは、主観から遠い地平にあるという点において、最も「シュール」な制作行為であると言えるのかもしれない。
伊藤佳之/群馬県館林美術館学芸員